【百年の孤独】感想2 ガルシア マルケス

面白いと思う所がたくさんありすぎて
全部は書けないから
いくつか書き留めておく

⭕️まず序文

"長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになっ時、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない。”

未来を暗示する始まり方 これで先が気になって仕方がなくなる。 好きな始まり方。

⭕️ホセ アルカディオ ブエンディアの最後

扉を開けると延々と同じ部屋が続く場所の夢を見る。途中で折り返して進むと、プルデンシオ アギラル(馬鹿にされて殺した村人)に肩を叩かれ 現実に戻った。
二週間後、同じ夢の途中、真ん中あたりの部屋で肩を叩かれるとそのままそこに腰をすえてしまった。
つまりそこで ホセアルカディオ ブエンディアは現実に戻れなくなった、つまり死を迎えた。
SF的でもある。そして

"小さい黄色い花が 雨のように空から降ってくるのが 窓越しに見えた。それは、静かな嵐が襲ったように一晩中町に降りそそいで、家々の屋根をおおい、戸を開かなくし、外で寝ていた家畜を窒息させた。あまりにも多くの花が空から降ったために、朝になってみると、表通りは織り目のつんだベッドカバーを敷きつめたようになっていて、葬式の行列を通すためにシャベルやレーキで掻き捨てなければならなかった。”

実際には起こりえない事なのに実際起きているように思えてしまう 美しい表現力。

⭕️ホセ アルカディオ の死

マコンドで真実がついに明らかにされなかった不思議な出来事は、恐らくこれくらいのものだろう。ホセ・アルカディオが寝室のドアを閉めたとたんに、家じゅうに響きわたるピストルの音がした。ひと筋の血の流れがドアの下から洩れ、広間を横切り、通りへ出た。でこぼこの歩道をまっすぐに進み、階段を上り下りし、手すりを這いあがった。トルコ人街を通りぬけ、角で右に、さらに左に曲り、ブエンディア家の正面で直角に向きを変えた。閉っていた扉の下をくぐり、敷物を汚さないように壁ぎわに沿って客間を横切り、さらにひとつの広間を渡った。大きな曲線を描いて食堂のテーブルを避け、 べゴニアの鉢の並んだ廊下を進んだ。 アウレリャノ・ホセに算術を教えていたアマランタの椅子の下をこっそり通りすぎて、穀物部屋へしのび込み、ウルスラがパンを作るために三十六個の卵を割ろうとしていた台所にあらわれた。
「あらぁ大へん!」とウルスラは叫んだ。
血の糸を逆にたどり、そのもとを訪ねて穀物部屋を横切った。 アウレリャノ・ホセが歌うよ、うに節をつけて、三タス三ハ六、 六タス三ハ九、とやっている、 べゴニアの鉢の並んだ廊下をわたり、食堂と広間を越えて、表通りをまっすぐ進んでいった。 やがて右に曲り、さらにそのあと左へそれてトルコ人街へ出た。彼女は、 パン焼き用のエプロンをつけ、家にいるときのスリッパをはいたままであることも忘れていた。広場へ出て、今まで一度も足をふみ入れたことのない一軒の家の戸をくぐり、寝室のドアをあけると、息苦しいほどの火薬の臭いが鼻をつき、床の、ほどいたばかりのゲートルの上につっ伏しているホセ・アルカディオの姿が目に映った。すでに流れは止まっていたが、血の糸はその右の耳に始まっていることがわかった。体のどこにも傷口は見当たらなかったし、凶器を突きとめることもできなかった。また、鼻を刺すような火薬の臭いを体から消すことも不可能だった。

血がもれるところからだんだんと表現がエスカレートしていき、手すりまで這い上がり出すという、現実からだんだんと非現実の中に引き込まれていく感覚が秀逸。

⭕️小町娘 レメディオスの最後

仕事にかかるかかからないかにアマランタが、小町娘のレメディオスの顔が透きとおって見えるほど異様に青白いことに気づいて、「どこか具合でも悪いの?」と尋ねた。すると、シーツの向こう把持を持った小町娘のレメディオスは、相手を哀れむような微笑を浮かべて答えた

「いいえ、その反対よ。こんなに気分がいいのは初めて」

 彼女がそう言ったとたんに、フェルナンダは、光をはらんだ弱々しい風がその手からシーツを奪って、いっぱいにひろげるのを見た。自分のペチコートのレース飾りが妖しく震えるのを感じたアマランタが、よろけまいとして賢明にシーツにしがみついた瞬間である。小町娘のレメディオスの身体がふわりと宙に浮いた。ほとんど視力を失っていたが、ウルスラひとりが落ち着いていて、この防ぎようのない風の本性を見きわめ、シーツを光の手にゆだねた。めまぐるしくはばたくシーツに包まれながら、別れの手を振っている小町娘のレメディオスの姿が見えた。彼女がシーツに抱かれて舞い上がり、黄金虫やダリヤの花のただよう風を見捨て、午後の四時も終わろうとする風のなかを抜けて、最も高く飛ぶことのできる記憶の鳥でさえおっていけないはるかな高みへ、永遠に姿を消した。

全体を読んでいて、ここの部分がとても大きな印象に残る。
他の登場人物の最後は、いい時もあれば苦労もし、だんだんと精神を病んで行き、最後は孤独に死んでいくようなパターンに対し、レメディオスはかなり唐突に空に飛ばされて消えて行ってしまう。ラストの迎え方が他と違うので、余計に頭に残る、なぜ飛んで行ってしまったのか?

⭕️最後

〈この一族の最初の者は樹につながれ、最後の者は蟻のむさぼるところとなる〉
と、長年解読できなかった羊皮紙に書いてあった事がわかる。

フランシス・ドレイクがリオアチャを襲撃したのは、結局、いりくんだ血筋の迷路のなかで彼ら二人がたがいを探りあて、家系を絶やす運命をになった怪物を産むためだったと悟った。マコンドはすでに、怒りくるう暴風のために土埃や瓦礫がつむじを巻く廃墟と化していた。知り抜いている事実に時間をついやすのを止めて、アウレリャーノは十一ページ分を飛ばし、現に生きている瞬間の解読にかかった。羊皮紙の最後のページを解読しつつある自分を予想しながら、口がきける鏡をのぞいているように刻々と謎を解いていった。彼は、予言の先回りをして、自分が死ぬ日とそのときの様子を調べるために、さらにページを飛ばした。しかし、最後の行に達するまでもなく、彼はもはやこの部屋から出るときのないことを知っていた。なぜならば、アウレリャーノ・バビロニアが羊皮紙の解読を終えたその瞬間に、この鏡の、すなわち蜃気楼の町は風によってなぎ倒され、人間の記憶から消えてしまうことは明らかだったからだ。また百年の孤独を運命づけられた家系は二度と地上に出現する機会を持ちえぬため、そこに記されていることの一切は、過去と未来を問わず、永遠に反復の可能性はないことが予想されたからだ。

◉崩れゆくマコンドの中
100年にわたり誰も解けなかった羊皮紙の解読を果たす訳だが、それはすなわち自分の最後であり、一族の最後である事を知るという
壮大なラスト。
最後まで読み進めてきて、赤ん坊が蟻に運ばれてる所を見た時に、羊皮紙の謎がいっきに解けていく所は、最高としかいいようがない。

◉細かいところでは、
のちに中編になるエレンディラと似たような女性が出ている。
ミスターハーバートも後の短編に出てくる

★気に入ったところでは
メメとの相手になるバビロニア
彼が存在する近くには、必ず黄色い蛾が大量に現れる

◉羊皮紙の解読で判明する双子について
無能と移り気だけが理由ではなく、その試みが時期尚早であったために羊皮紙の解読を中途で放棄せざるをえなかった、今は亡き双子の兄弟

◉赤蟻 白蟻など虫もよく出てくる その中でも、紙魚がよく出てくる。知らないので調べてみると、めちゃくちゃ気持ち悪い、古い本などを、食べるとあるので 、家にあるいらない本は速攻で捨てる事に決めた。

エレンディラの感想でも書いたような気がするが、 【匂い】【土】【埃】【風】【血】などをまるで目の前の事のように、生々しく感じさせられる。

優雅な生活の後にとんでもない貧困が待っていたり 、自分の願うものが手にはいる時にあえてそれを拒否してしまったり、 自分の子供だから 優しくしたいのにとんでもなく厳しい事をしてしまったり、仲の良かった姉弟が禁断の関係を結んでしまったり、美しいと思っていたものがとても残酷だったり。
相反する出来事がいくつも起こり、そこで、なんとも言えない 味わいを残す。

大枠のストーリーもさる事ながら、その中に綿密に練りこまれている幻想的で現実離れした表現が作品の醍醐味なので、結末を知ってしまったからもう用はない、という作品ではない。何回読んでもその文章の素晴らしさに感動できる。

現実と幻想を、シームレスにつなぐ素晴らしい表現、それがとにかく自然で、読むのが止まらなくなる。

登場人物も、かなり多いが 以外と会話が少ない事に気づいた。心象などそのまま文章で語っていき、最後に登場人物の、思っている一言などを発している事が多く、長い一族の話だが テンポよくすらすらと読める。

そこそこ面白い本は数あれど 本当に自分にぴたりとあった本は多くはない。
本でも音楽でも映画でもその突き抜けた一作に出会えた時の感動は何事にも代え難い
本当に面白かった。

かなり良かったので、今後はガルシアマルケスを読みつくし、影響を受けていると言われるフォークナーと他のラテンアメリカ文学にも手を広げていく事にする。