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【夜のみだらな鳥】ホセ ドノソ 感想 2

【夜のみだらな鳥】ホセ ドノソ 感想2
100/100
あらすじ
植民地時代からの名門の当主である ドン ヘロニモ アスコティアは、同じ上流に属する従妹のイネスと結婚し、上院議員として政界に重きをなす。やがて待望の子供が誕生するが、これがこの世のものとは思えない、異常な奇形で、初めてわが子に対面したドン ヘロニモは殺害を考えるが 思いなおす。腹心の秘書、ウンベルト ペニャローサにその養育すべてをたくす。ウンベルトはその子供〈ボーイ〉とともにリンコナーダの屋敷で幽閉の生活に入る、主人の伝記の執筆に取り掛かるが、胃病のために大吐血 病み衰え、やがて年もとった彼は、昔からアスコティア家の使用人すべての落ち着き先と決まっていた、エンカルナシオン修道院におくられる、そしてそこで聾啞の〈ムディート〉の仮面をつけて、僧や老婆や孤児たちのなかで暮らしながら、悪夢のような彼自身の伝記を語り始める。
●解説がとてもわかりやすかったので解説からいろいろと
⭕️ルイス ブニュエル 映画監督

映画化の強い願望を表明しながらこう評した
「これは傑作である その狂暴な雰囲気、執拗きわまりない反復、作中人物の変身、純粋にシュルレアリスチックな物語の構造、不合理な観念連合、想像力の限りない自由、何が善であり悪であり、また何が美であり醜であるかについての原則の侮辱的な無視などに、ぼくは度胆を抜かれてしまった」

⭕️カルロス フエンテス 作家 批評家
「精神錯乱的で、詩的で、連想的で、皮肉で、鋭い社会批反に満 ち、要するにボッス的でしかもディケンズ的な…この秀作を読みながら、ぼくは息のあえぐのを覚えた…ラテンアメリカと言うだけではない…われわれの時代の偉大な小説のこれはひとつである」
⭕️「夜のみだらな鳥」の世界
語り手ウンベルトの物語は、貧しい小学教師の子として生れた少年時代から老年の 現在まで、その意識と無意識のなかに蓄えてきた怨念、執念のかずかずによって歪曲され、誇張されている。人物も話もその虚実が明らかではない。 しかしその場所は、 ほんどリンコナーダの迷宮的な屋敷と、これまた迷宮と呼ぶにふさわしいエンカルナシオン修道院のふたつに限られている。 ウンベルトの妄想は常にそれらの場所をめぐって発生し、亢進し、萎靡し、消尽していく。
『夜のみだらな鳥』 のなかでは時間的および空間的な転移が自在に、実に気ままに行われ、合理的な因果の関係もまた思いのままに無視されている。 登場する多数の人物の個々の像も不分明なら、彼らのあいだの関係も曖昧かつ矛盾に満ちていて、常に転倒の可能性をはらんでいる。 ある不可解な魔的な力が「時間と映像と平面とを混乱させてしまった」 (三八二ページ)世界が 『夜のみだらな鳥』 である。
⭕️修道院とリンコナーダは同一
語り手の《ムディート》がさりげなく呟いたように、修道院とリンコナーダは結局、同一の場所なのである。《ムディート》 の錯乱した意識が、鍵も意味も欠けている瞬間、呪縛された現在からその妄想を投影する、同一の、 一個の空間なのである。

⭕️ドノソの作者自解
「この『夜のみだらな鳥』は、 いわば迷宮的な、分裂病的な小説です。そこでは、現実、非現実、夢想、覚醒、夢幻的なもの、空想的なもの、経験的なもの、 これから経験されるもの、といったさまざまな次元のものが入りまじり、絡まりあっていて、果たして何が現実なのか、決して明らかではありません…わたしはただ、縺れあったオブセッション、テーマ、記憶などを小説に仕立てる可能性を試みただけです。もっとも恣意的なものを現実とみなした上で、分裂病的な世界を語ること。 三十八の、いや四十もの可能な現実がそこにはあるでしょう」
まさに百花繚乱の感があるラテンアメリカ小説のなかにあっても独自の世界を誇る『夜のみだらな鳥』 についてのこの作者の自解は、冒頭に引いたブニュエルフエンテスの言葉とともに、読者にとってもっともよい手引きになるにちがいないのである。

●一旦は納得した事がまた変化を見せていくあたりはめまいを覚えるが新たなつかみなおしにエネルギーは使うものの読み考える楽しみでもある。
●4回書き改められ8年の歳月をかけて完成した作品である。
終わり方の人知れず静かに何かが終わっていくあの感じがたまらなく良い。
今語っているのは誰なのか?どの時間軸の話なのか?屋敷なのか修道院なのか?ムディートなのかウンベルトなのか?幻想なのか現実なのか?頭の中を激しく揺さぶられるがそれが読み進めるうちに苦痛にはならずむしろグイグイと読み進めてしまう何か中毒性のある魅力的な作品だった。