【緑の家】感想2 マリオ・バルガス・リョサ

◉面白かった所

P178

★ラリータが、フシーアが出て行ったきり戻って来ないので、心配で孤独を感じている所に、インディオのフムが戻って来る場面。

最後はフムが自分に好意を持っているのを知っていて関係を結んだかのような描写で終わる。

話している人物が説明もなくどんどん変わり一気に最後まで進む、勢いがありトリッピーな文章。 ラリータの心の不安定さを感じさせ 全体の書き方と違うので インパクトがある。

 

★アンセルモがアントニア(16)に近づいていく場面

 

始まりが 「事実は本来動かし難いものなのに、われわれは現実と自分の願望とを混同してしまうのだ。」から始まる要するに、自分の願望が第三者の様に自分に語りかけるような文章になっていてインパクトがある。

 

 

◉好きな部分

“これでいいのかどうか、最後にもう一度よく考えてみるのだ。人生とはこういうものなのかどうか、もし彼女がいなかったら、あるいは彼女とお前の二人きりだったらどうなっていたか、すべては夢だったのかどうか、現実に起こることというのはいつも夢とは少しばかり違うのかどうか、よく考えてみるがいい。そして、 これがほんとうに最後だが、お前はもう何もかも諦きらめてしまったのかどうか、そしてもしそうなら、それは、彼女が死んでしまったからなのか、それとも自分ももう齢なので、次に死ぬのは自分だと悟っているからなのかどうか、そこのところをよく考えてみるのだ。” 

 

 

◉あとがきから

緑の家はリョサが子供の頃実際にあった。

 

三人の楽団員と盲目のハープ弾きもいた。

 

ラクサのフム 神父もいた。

 

フシーアにもモデルがいる(実際に存在したかはわからないが)。

 

 

 

 

◉感想

前情報として読むのが難しいかと構えてしまったが、むしろ読みやすかった。 登場人物ごとに話が区切られる事とその区切りが割と短く続いていくので、ここまで読もうという目やすがつきやすく、むしろどんどん読み進めてしまう。840ページ(あとがき含め)10日くらいで気がついたら読み終わっていた。

 

面白い所は、文章が説明もなく改行もなく過去の人物が喋ったりするので、アレ?と思うのだけれど、慣れてくるとそれがすんなり読めるようになり、どこか中毒性がある。

 

女性達は(修道女 ラリータ ボニファシア etc)たくましく。

男達(フシーア リトゥーマ etc)は情けない。

 

◉文章はとてもシンプル。

 

過去と現在、たくさんの登場人物達が交錯していく様はまさに密林のよう。そしてその間を幾重にも走る川を抜けると、何にも代えがたい読後感と気持ちの良い余韻を残す。

とても面白かった。

 

◉最後に リョサの言葉

 

「人間の内面にこだわり、それを描き出そうとするやり方はあまり好きではない。自分はむしろ、行為、行動といった外に現われてくるものに興味があり、それを描くことで人物の内面を浮かび上がらせたいと考えている」 

 

 

まさにこの言葉通りで、多数の個性的な人物たちが各々に思いのままに行動する事によって物語がぐいぐいと進んでいき、結果登場人物の内面が徐々に浮かび上がり物語全体も深みを増していく。

 

リョサのやりたい事は、この作品で完璧に表現されていると思った。